「投資不要論」「保険不要論」から見るリスクの非対称性

つみたて次郎です。

世の中では様々なものに対して必要か?不要か?という疑問が投げかけられていますが、世界三大不要論とされているのは以下の3つです。

 

・投資不要論
・保険不要論
・辛味不要論

 

このうち今回は「投資」「保険」の不要論を中心に考えていきたいと思います(辛味無視)

 

投資不要論

投資クラスタとしてはとても受け入れがたいですが、ごく普通の人は無理に投資をする必要はない…という考え方です。

その大きな根拠としては、以下の3つがよく挙げられます。

 

・一般人はリスク許容度が極端に低く、価格変動に耐えられない。
・リスク資産で投資せずとも、現金や公的年金等だけで十分に備えられる。
・現金でもインフレに十分対応できる。

 

特に3番目については、大きく賛否両論が分かれるところだと思います。

参考記事…現金(キャッシュ)はインフレに弱いというのは本当か?

ハイパーインフレ等の有事の際には無力ですが、その予兆が見えてからでも流動性の高い現金であれば十分対応できる…という考え方もありますね。

 

保険不要論

日本は社会保険が充実しているため、基本的に各種保険は不要である…という考え方です。

基本的には生命保険・医療保険に対して不要という意見が多く、自動車保険や火災保険などまで含め不要という意見は少数派だと思います。

特に医療保険に関しては、保険支払事由の発生頻度が多く、1回あたりの支払額も少ないことから、保険でカバーするのに向いていないジャンルだとつみ次郎も考えています(といいつつ県民共済だけ入ってるけど)

「2人に1人はガンになる時代です!」というガン保険のキャッチコピーもありますが、文字通り受け止めれば「2分の1で発生する事故にわざわざ保険をかける」ということになります(笑)

話が逸れましたが、日本人は保険にお金をかけすぎとも言われていますので、保険不要論は根強い支持を得ています。

その一方、保険というのは期待値がマイナスだとしても万が一の保障と安心を買うためのものという認識もあり、不要論に対する反発も大きいです。

実際に、保険に加入していたおかげで命拾い(比喩)したという人は大勢いますからね。

 

 

不要論が意味する違い

「投資不要論」「保険不要論」というのはどちらも特定の金融商品に対してNo!を突き付けていますが、その本質は正反対です。

 

投資不要論
・期待値プラスのゲームに参加することを拒否している
・参加するために必要な資金が多い(毎月何万~何十万)
・最悪の場合投資資金の大部分を失う可能性がある

 

保険不要論
・期待値マイナスのゲームに参加することを拒否している
・参加するために必要な資金が少ない(毎月何千~何万)
・最悪の場合でも掛け金が無駄になるだけ(掛捨ての場合)

 

こうして並べていくと、投資不要論はギャンブル的な取引を止める立場、保険不要論はその真逆という事になります。

ようするに万が一不要論が間違っていた場合の結末に大きな違いがあるという事になります。

投資の場合、もし不要論にそそのかされて投資を全くしていなかったとしても、せいぜい機会損失くらいのダメージしかありませんが、保険の場合は加入していなかったせいで人生を左右するようなダメージに発展しかねませんからね。

「投資不要論」と「保険不要論」では言葉の重みが全然違うという事ですね。

投資は危険な博打という認識が根強い一方、保険は安心安全のための助け合い…という風潮があるのも、上記のリスクに対する非対称性がもたらしているのだとつみ次郎は考えています。

投資商品も保険商品も、人間の行動を無機質な数字と金に変換している冷徹な金融商品であることには違いないんですけどね(悟)

 

現金という相対的な存在

上記のような非対称性があるのは、現金(キャッシュ)が絶対的な存在として崇められているからです(断言)

少し前にTwitterで話題(?)になった以下のツイートをご覧ください。

 

 

キャッシュポジションが多すぎるという意味で「無駄に多い現金」という言葉が使われていますが、「使い切れないほど金が余ってる」とも読み取れるのでネタとして一時広まりましたw

ただ、この「無駄に多い現金」という考え方は案外忘れがちな視点だと思います。

さきほど現金でもインフレ負けはないという説についてお話ししましたが、通説としては現金は他の資産に比べてインフレに弱くデフレに強い資産として考えられているのが一般的です。

したがって、キャッシュポジションが多いほど相対的にインフレに弱いポートフォリオという事になりますが、投資をしていない人から見ればなかなか意識しにくい部分だと思います。

長期リターンで見れば現金は株式・債券・REIT等に劣るとされており、裏を返せばキャッシュポジションが多いほど期待値としては不利なギャンブルに参加しているということでもあります。

現金を基準に考えるから現金は安全という結論になるだけであって、仮に株式のリターンを基準に考えれば現金は危険という見方もできなくはありません。

「現金は腐る」という表現も、過去に起きた事実を表しているにすぎません。

投資と保険の話に戻しますが、「投資不要論」というのはあくまで現金を絶対的な基準として考えた場合の説であって、金融理論的には現金への集中投資と読み替えることもできるので、その意味では世間で言われているほど手堅い資産形成ではないとつみ次郎は考えています。

保険も、加入すれば安心…ということではなく、保険に加入しなければその分掛金を投資や貯金に回せたはずですので、かえって不測の事態への対応力が下がるというリスクを抱えることにもなります。

毒も薬も使いようですので、不要論の中身を確認しつつ各個人の人生設計に合った活用法を見つけていきたいですね。

最後に、投資と保険に対するありがたいつみ次郎の見解を述べて終わりにしたいと思います。

 

・投資は期待値がプラスだから、可能な限り積極的に参加する。
・保険は期待値がマイナスだから、必要最低限だけ参加する。

 

シンプルにこの解釈で考えていけば十分ではないでしょうか?

 

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